2011/06/27

まとめ -ヨーロッパ篇-

相変わらず、昼頃起きてくっちゃくっちゃね、ニート暮らしを満喫してしまっています。

とはいえ、写真を現像してみたり、フォトブックなんていう大壮なものを作ってみたり、唯一のこの旅でコレクションしていた紙幣を整理したりと、チマチマと旅の余韻を楽しんでいます。

帰国して1ヶ月が経ち、日本の生活にも慣れてきたので、あとは就活に向けて徐々にエンジンを吹かしていきたいところです。

ブログ上方のタブにある「旅の統計」でこの旅の支出をまとめてみました。
気になる方は覗いてみてください。
ちなみに「旅のルート」と「世界遺産リスト」はオセアニアの分も追加しており完成しています。

あ、これまで住所不定でしたが住民票を2年ぶりに入れてみました。
来年の1月まで住民税はかかりません。

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フォトブックって流行っているのかな?こいつを作成するのが結構大変だった。ページ数から載せる写真の枚数を計算し、選別して1ページずつ配置していく。配置した写真にラベルを付けていって表紙を決めて完成。完成品が送られてきて見てみると…なかなかいいじゃないすか。立派な作りをしているので、写真もよりよく見える。飲み会とかに持って行って披露させていただきやす。


行った国の紙幣はいくつか取っておいた。はずなのに、ラオス・キップとミャンマー・チャットがなかった!おかしいなー。誰か持っている人、寄付してん。(←と思ったら、見つかった。)


ちょっとだけ紹介しよう。こいつはキューバ・ペソ。3ペソという珍しい単位だが、それよりもゲバラの肖像がかっちょいい。


国境で手に入れたジンバブエ・ドル。スーパーインフレーションで100,000,000,000,000、弩級の紙幣が作られてしまったダメ国家。いまや紙屑同然で土産物として2ドルでたたき売りしている。ヴィクトリアの滝周辺でウロウロしている兄ちゃんから買った。


こいつはイラク・ディナール。イラクには行ってないけど、トルコのバザールで土産物として売っていた。今の紙幣からはサダム・フセインの肖像は消えているよ。紙幣もファイルして整理したので、飲み会なんかに持って行きやす。


ラーメン二郎。久しぶりに食ったわー。野菜増しなんて言ってないのに、モリモリできがやがった…。最初は不安だっだが悪戦苦闘しつつも完食。このあとしばらく動けなかったのは言うまでもない。

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ヨーロッパは29ヶ国を84日間と短い日数で国の数を稼ぎました。
イスタンブールからブルガリアに入り、ゴチャゴチャ回って最後はギリシャからトルコに戻ってきました。


より大きな地図で ヨーロッパ を表示


まずは東欧を攻めて行きました。
ブルガリアルーマニアモルドバウクライナポーランドとバスと列車を使って旧共産圏を訪れました。
この辺りはヨーロッパといえども、西ヨーロッパほど裕福ではなくアカ臭い建物、しょうがないから売ってやってんだよ的な素っ気ない売店のおばちゃんなどなど、少し貧乏臭い感じです(ただしポーランドを除く)。
とはいえ、野暮な分気さくなおっちゃんも多いので地元民とのコミュニケーションも楽しめます。


ういーっす。モルドバのマーケットの肉屋のおっちゃん。モルドバなんて滅多に行かないよね…


その後、バルト3国(リトアニアラトビアエストアニア)とロシアを訪れました。
ここで、この旅最大の事件が発生しました。
エストニアの首都タリンでノートパソコンが盗まれました。
偶然同じドミトリーにいた日本人とリビングで飲んでいて、ちょっと買い物に行こうとしてノートパソコンをテーブルの上に置いておいたら…ほんの15分くらいの間になくなっていました。
宿中の部屋を探し、宿泊客の荷物をひっぺがしたのですが、見つからず…
アジアの大半の写真とデータを失うことになりました。


タリンの美しき街並み。私のノートパソコンはいずこへ?やれやれトホホ…


失意の中、タリンから船でヘルシンキに入りました。
北欧からぐっと物価が上がり、生活水準も高くなりました。
ここから、予てから用意していてユーレイルパスを使いました。
ユーレイルパスはヨーロッパの鉄道が乗り放題になります。
移動費もかなり高くなるので、北・西ヨーロッパで使うと少しお得になります。
フィンランドスウェーデンノルウェーデンマークを回りました。


サンタさん。盗まれたノートパソコンをプレゼントして欲しいとお願いしたが、結局願いは叶わず。


その後、フランススイスイタリアスペインポルトガルを超特急で回りました。
この辺りは見所満載、観光客も多いです。


ロカ岬と大西洋。とうとう、ユーラシア大陸最西端まで来たぜい。

マドリードからローコストキャリアの飛行機を使ってドイツまで飛びました。
日本から親類が遊びに来たからです。
チェコオーストリアハンガリーを回るJTBのツアーに参加したので移動も宿泊も楽チンでした。
ツアー客はマダムが多く、私のようなバックパッカーが珍しい、というかむしろ感心していました。


調子に乗って、ウィーンでコンサートとか見に行っちゃった。それにしても、同じツアーのマダム達の土産の買いっぷりが凄かったな。


こんな感じで中欧を訪れたので、ここからルートが少しおかしくなりましたが、ハンガリーからアイルランドに飛ぶことにしました。
ダブリンから船でイギリスに入り、その後はベルギーオランダ、ドイツと取りこぼした西ヨーロッパを回りました。


ブリュッセルの小便小僧…じゃなくて小便少女。この微妙な笑みに戸惑ったわ。


ヨーロッパ最後は旧ユーゴスラビアの国々です。
スロベニアクロアチアマケドニアギリシャとバルカン半島を縦断し、エーゲ海の島々を渡ってトルコに戻ってきました。


サントリーニ島の夕日。きれいじゃったのう。


ヨーロッパは物価が高いので、1ヶ国1~2都市、1都市1~2泊、と忙しい旅となりました。
また、節約のためファストフードかホステルで自炊をしていたので、ヨーロッパの美味いモノにはあまりありつけませんでした。
アジアではこちらが望まなくても、なんかしらの小事件が起こるのですが、ヨーロッパはボッタクリの類があまりなく大体穏やかに旅ができます。
それはそれでいいのですが、3ヶ月近く旅をしていると逆に退屈になってきて、アジアの喧騒が懐かしくなったりしました。

お次は暗黒大陸アフリカ縦断篇です。

2011/06/17

まとめ -アジア篇-

帰国してからというもの、予想通り家でひたすらダラダラ沈殿しております。

ぼちぼち、ブログのクローズに向けてまとめていかなければと思っています。
というこで、とりあえず地域別に旅のルートの成り行き・感想などなどを述べていこうと思います。

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アジアは22カ国、273日間と地域別ではもっとも多くの日数を割きました。
韓国へ船で渡りイスタンブールを目指して極力陸路と海路で移動しました。


より大きな地図で アジア を表示


韓国は飯も美味いし、交通機関もまったく問題ないのでイージーです。
中国はあまり英語が通じないのと、人民のマナーがまったくもっていけてないので少々疲れましたが、ユースホステル・鉄道が整備されているので、難しいことはありません。
中国はインターネットの規制が厳しく、facebookなどが見れません。
このブログも例外ではなく、旅が始まったばかりにもかかわらず、1ヶ月程更新ができなくなりました。
以後ブログの運用は、写真をアップしたり文章を考えたりする必要もあるということで、リアルタイムに更新していくのは結構難しく、過去日に投稿することにしました。
これにより、行った場所と行った日が一致するので、後から見やすく整合がとれるようになりました。


北京の屋台。サソリは食えんよ…


中国からの選択肢は3つあり、それぞれ雲南から東南アジアへ抜けるルート、チベットからネパールへ抜けるルート、ウイグルから中央アジアへ抜けるルートがあります。
どのルートも魅力的なのですが、後ろ2つは東南アジアを経由したとしても、西へ向かっていけば訪れることができるので、旅行者天国の東南アジアルートをとることにしました。
ベトナムカンボジアラオスタイミャンマーを回りました。
マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアは一応前に訪れたことがあるので、今回は飛ばしました。


アンコールワット。素晴らしいっす。


東南アジアに入ってからというもの、日本人旅行者は俄然増え始め、現地のセコイ兄ちゃん相手に多少のボッタクリ対応をしなければなりませんが、見所はたくさんあるので楽しめました。


ホーチミンにて。「ほら、みんなオレのガイドいいって書いてくれてるよ~」とノートを差し出すアニキ。日本語で書いてあったけど、こういう輩ってどうも信じられん。


ミャンマーは陸路通過ができないので、飛行機を使ってインドに飛びました。
インド人対応にはホトホト疲れ、この旅の中で1,2位を争うほど嫌いになりましたが、バングラデシュパキスタンの貧しさとムスリムの人の良さに触れ、ネパールでトレッキングの楽しさを知ることができました。
また、ここからトルコまでの国はすべてビザが必要となるため、現地大使館との格闘が始まったわけです。
そして、この辺りから食べ物が不衛生になるため慢性的にお腹が緩くなり、停電やら、ストライキやら、時間通りに運行されない交通機関やらで、ストレスフルな旅となりました。


偽物のサドゥー。写真取らせて小銭をせしめようとしたり、頼んでもいないのいガイドしようとしたり、まったくしょうがない奴だった。


パキスタンからイランへ抜けることもできますが、中央アジアを訪れることにしました。
中央アジアへ行くには、アフガニスタンを通らなければならないので飛行機でウズベキスタンまで飛ぶことにしました。
ここからは旧共産圏ということで、南アジアとは街の雰囲気が変わります。
ウズベキスタンはシルクロード中継地点ということで独特のエキゾチシズムがあります。
トルクメニスタンは独裁国家システムといい加減さにより、旅行自体の勝手が違い、船着場で2泊も船を待つ羽目になりました。


ブハラ。シルクロードな雰囲気。ここ最高っす。


トルクメニスタンの後は、イランに抜ける予定でしたがビザが取れず、カスピ海を渡ってコーカサス3国(アゼルバイジャングルジアアルメニア)を訪れることになりました。
この辺りは民族対立で政情が不安定ですがグルジア正教やアルメニア正教など独自の文化に触れることができます。


ロンギヌスの槍!!ホンモノかいな?


イランは何かときな臭いニュースが多いですが、人もいいし見所も多いし、トルコを除くとこの辺では最も発展しています。


ハマム(銭湯)で汗を流す男達。


イランを回った後、いよいよトルコに入ったわけですが、飯の美味さといいバスの快適さとといい、これまでイマイチな国だったので感動モノでした。
また、ビザリレーから開放されたのも嬉しかったです。


サバサンド屋台。モノもサービスも溢れていてかつ、オスマンでヒストリカルな感じが◎


イスタンブールからヨーロッパに入り、アフリカを目指すべくトルコへ戻り中東(シリアレバノンヨルダンイスラエル)に入りました。
夏場に訪れたのでかつてない暑さでしたが、シリア人の人の良さに驚き、イスラエル人の人の腐り具合にガッカリし、すっかりアラブファンになっていました。
そして、ヨルダンからエジプトに入りアフリカ編が始まりました。


レバノンのバールベック周辺。ヒズボラが作ったと思われる戦車のモニュメント。仲よくやってくれよ…


運良く強盗やスリなどに会わず、大病を患うこともなく、のべ9ヶ月間、無事にアジアの旅を終えることができたのはよかったです。
旅行者の中では「歴史のアジア」と揶揄されますが、変化に富み見所の多いアジアがこの旅で一番面白いと感じました。

日本人旅行も多く、日本人定番宿は1ヶ国に1つはあり情報ノートが設置されているので情報が欲しい時には助かりました。

当初は現地またはインターネットで容易に旅情報を得られると思い、ガイドブックを持って行きませんでした。
ガイドブックを持って行くと、ガイドブック通りの旅になってしまうとか、ガイドブックに載っている所しかいかなくなるとか、いろいろ意見があると思いますが、持っている方が遥かに効率よく見所を逃すことなく旅ができると思います。
韓国と中国はガイドブックなしだったので、バスターミナルを降りた後ここがどこだかわからない、面白い見所を探すのに時間がかかる、など無駄に苦労をしました。

こんな感じで、アジア横断を無事に終了したわけです。
お次はヨーロッパ編っす。

2011/06/07

帰国


2011年5月28日、日本に帰国しました。

午前中ゴロカから国内線でポートモレスビーに戻り、午後に成田行きの便に乗りました。
機内では、最後の移動、久しぶりの日本ということで妙に落ち着かない感じでした。
飛行機が着陸しイミグレーション・税関と、久しぶりの日本語の案内と会話に違和感を覚えながらも、無事に通過し帰国を果たしました。

到着ロビーを出て、まずはということで缶コヒーでも買って一服しようとコンビニに行くも、日本円を持っていないという失態を犯し、ATMにて久しぶりに日本円をゲット。
電車で家に帰るまでの僅かの間ですが、日本ってずいぶん静かな国だなと思ったり、自動改札の読取りの速さにビビったり、車内の広告が多さに目を見張ったりと、改めて日本ってずいぶん他国と違うなー、と思いました。
しかしながら、この極上の安心感は、母国日本でしか味わうことができないと実感しました。

最近はというと、親類に会ったり、家で納豆とご飯食いまくったり、ぐーたらしています。
ぼちぼち、知人・友人とも会いたいと思っています。

今後は統計やランキングなどなど、まとめ記事をアップしていきます。

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まずはポートモレスビーへ戻らないといかん。これが遅れると成田行きに乗れないんだが、心配をよそにOn Timeの出発。


「PX 054 TOKYO-NARITA」便に乗りやす。これにて、世界一周終わり!


6時間半くらいのフライトだったが、久しぶの日本に緊張していたせいか、妙に時間を気にしてしまってあんまり寝れなかった。いつもなら爆睡なんだけどね。はい、日本到着、ただいまー。久しぶりの日本は雨か…後で知ったけど台風が来ていた。


「お帰りなさい」に胸熱…。イミグレーションでも税関でも、まったくイチャモン付けられなかった。
今後はまとめ記事とかアップする予定。