2011/06/17

まとめ -アジア篇-

帰国してからというもの、予想通り家でひたすらダラダラ沈殿しております。

ぼちぼち、ブログのクローズに向けてまとめていかなければと思っています。
というこで、とりあえず地域別に旅のルートの成り行き・感想などなどを述べていこうと思います。

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アジアは22カ国、273日間と地域別ではもっとも多くの日数を割きました。
韓国へ船で渡りイスタンブールを目指して極力陸路と海路で移動しました。


より大きな地図で アジア を表示


韓国は飯も美味いし、交通機関もまったく問題ないのでイージーです。
中国はあまり英語が通じないのと、人民のマナーがまったくもっていけてないので少々疲れましたが、ユースホステル・鉄道が整備されているので、難しいことはありません。
中国はインターネットの規制が厳しく、facebookなどが見れません。
このブログも例外ではなく、旅が始まったばかりにもかかわらず、1ヶ月程更新ができなくなりました。
以後ブログの運用は、写真をアップしたり文章を考えたりする必要もあるということで、リアルタイムに更新していくのは結構難しく、過去日に投稿することにしました。
これにより、行った場所と行った日が一致するので、後から見やすく整合がとれるようになりました。


北京の屋台。サソリは食えんよ…


中国からの選択肢は3つあり、それぞれ雲南から東南アジアへ抜けるルート、チベットからネパールへ抜けるルート、ウイグルから中央アジアへ抜けるルートがあります。
どのルートも魅力的なのですが、後ろ2つは東南アジアを経由したとしても、西へ向かっていけば訪れることができるので、旅行者天国の東南アジアルートをとることにしました。
ベトナムカンボジアラオスタイミャンマーを回りました。
マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシアは一応前に訪れたことがあるので、今回は飛ばしました。


アンコールワット。素晴らしいっす。


東南アジアに入ってからというもの、日本人旅行者は俄然増え始め、現地のセコイ兄ちゃん相手に多少のボッタクリ対応をしなければなりませんが、見所はたくさんあるので楽しめました。


ホーチミンにて。「ほら、みんなオレのガイドいいって書いてくれてるよ~」とノートを差し出すアニキ。日本語で書いてあったけど、こういう輩ってどうも信じられん。


ミャンマーは陸路通過ができないので、飛行機を使ってインドに飛びました。
インド人対応にはホトホト疲れ、この旅の中で1,2位を争うほど嫌いになりましたが、バングラデシュパキスタンの貧しさとムスリムの人の良さに触れ、ネパールでトレッキングの楽しさを知ることができました。
また、ここからトルコまでの国はすべてビザが必要となるため、現地大使館との格闘が始まったわけです。
そして、この辺りから食べ物が不衛生になるため慢性的にお腹が緩くなり、停電やら、ストライキやら、時間通りに運行されない交通機関やらで、ストレスフルな旅となりました。


偽物のサドゥー。写真取らせて小銭をせしめようとしたり、頼んでもいないのいガイドしようとしたり、まったくしょうがない奴だった。


パキスタンからイランへ抜けることもできますが、中央アジアを訪れることにしました。
中央アジアへ行くには、アフガニスタンを通らなければならないので飛行機でウズベキスタンまで飛ぶことにしました。
ここからは旧共産圏ということで、南アジアとは街の雰囲気が変わります。
ウズベキスタンはシルクロード中継地点ということで独特のエキゾチシズムがあります。
トルクメニスタンは独裁国家システムといい加減さにより、旅行自体の勝手が違い、船着場で2泊も船を待つ羽目になりました。


ブハラ。シルクロードな雰囲気。ここ最高っす。


トルクメニスタンの後は、イランに抜ける予定でしたがビザが取れず、カスピ海を渡ってコーカサス3国(アゼルバイジャングルジアアルメニア)を訪れることになりました。
この辺りは民族対立で政情が不安定ですがグルジア正教やアルメニア正教など独自の文化に触れることができます。


ロンギヌスの槍!!ホンモノかいな?


イランは何かときな臭いニュースが多いですが、人もいいし見所も多いし、トルコを除くとこの辺では最も発展しています。


ハマム(銭湯)で汗を流す男達。


イランを回った後、いよいよトルコに入ったわけですが、飯の美味さといいバスの快適さとといい、これまでイマイチな国だったので感動モノでした。
また、ビザリレーから開放されたのも嬉しかったです。


サバサンド屋台。モノもサービスも溢れていてかつ、オスマンでヒストリカルな感じが◎


イスタンブールからヨーロッパに入り、アフリカを目指すべくトルコへ戻り中東(シリアレバノンヨルダンイスラエル)に入りました。
夏場に訪れたのでかつてない暑さでしたが、シリア人の人の良さに驚き、イスラエル人の人の腐り具合にガッカリし、すっかりアラブファンになっていました。
そして、ヨルダンからエジプトに入りアフリカ編が始まりました。


レバノンのバールベック周辺。ヒズボラが作ったと思われる戦車のモニュメント。仲よくやってくれよ…


運良く強盗やスリなどに会わず、大病を患うこともなく、のべ9ヶ月間、無事にアジアの旅を終えることができたのはよかったです。
旅行者の中では「歴史のアジア」と揶揄されますが、変化に富み見所の多いアジアがこの旅で一番面白いと感じました。

日本人旅行も多く、日本人定番宿は1ヶ国に1つはあり情報ノートが設置されているので情報が欲しい時には助かりました。

当初は現地またはインターネットで容易に旅情報を得られると思い、ガイドブックを持って行きませんでした。
ガイドブックを持って行くと、ガイドブック通りの旅になってしまうとか、ガイドブックに載っている所しかいかなくなるとか、いろいろ意見があると思いますが、持っている方が遥かに効率よく見所を逃すことなく旅ができると思います。
韓国と中国はガイドブックなしだったので、バスターミナルを降りた後ここがどこだかわからない、面白い見所を探すのに時間がかかる、など無駄に苦労をしました。

こんな感じで、アジア横断を無事に終了したわけです。
お次はヨーロッパ編っす。

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