2010/07/25
【ヨルダン】ペトラ
アジア最後の観光地、ペトラ遺跡に来ました。
中東は全体的には人も良いし、そこそこ物価も安いので旅がしやすかったです。
シリア人の人の良さは特筆に価すると思います。
みどころやルートも限られ、定宿も決まっているので、多くの日本人旅行者に会います。
ここでカッパドキアから同行していた、桜庭氏とはお別れです。
彼とはこれまでの経歴が似ていて、なかなかウマが合い、よい出会いとなりました。
ユーラシア大陸の旅は、見所満載で約1年かかりました。
お次は、初アフリカ大陸上陸、エジプトです。
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ペトラ遺跡の入り口から、500mくらい乗馬することができるんだが、馬を引くベドウィン(現地の遊牧民)の態度が最悪なのだ。「おまえ、日本人かー。チップくれやー」。こっちはインディ・ジョーンズ張りにテンション上がってんのに、水を差すんじゃねーよ。
シークという巨大な壁の間を抜けると、有名なエル・ハズネが見えてくるのだ。赤茶けた地層の流線模様が美しい。
おおっ!こいつは!
でました~。岩壁を刳り貫いて造られた、エル・ハズネだ!でかいっすわ。『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』の舞台になったところだ。この迫力、申し分ないっす。
遺跡群全体は、広範囲にわたってあるので、炎天下の中、乾燥した大地を歩いて廻らなければならない。第2の目玉は山を登った最奥にある、エド・ディルだ。
「ロバ乗らねーか。楽だよ~。グッドプライス」とインド人並にしつこくて態度の悪いベドウィンを蹴散らしながら、険しい山道を上っていかなければならない。
遺跡もいいけど、この荒涼とした自然も見ごたえありだ。桜庭氏は当初から引いていた風邪が悪化してしまったが、無理を押して参戦した。
ひーこら登った、最後のご褒美、エド・ディルだ。エル・ハズネよりでかいっすよ。
展望台から、樹木のない山並みが見ることができる。誰もいないっすわ。満足っす、ペトラ遺跡。ただし、ディズニーランド並の入場料と態度の悪いベドウィンを除く。
実は前日に、ナイト・ペトラという催し物を見に行ったのだが、こいつが期待はずれ。ロウソクの演出はとてもいいのだが、エル・ハズネ前でベドウィンの独奏が2曲あって、以上終了。はっきりいって、入場料に見合う価値はないです。
ペトラビールもアルコール度数が高すぎて、あんま旨くないっす。
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※宿
バレンタイン・イン
2010/07/21
【ヨルダン】アンマン
2泊3日で、ささっとエルサレムを後にして、アンマンに戻ってきました。
ここは特にみどころがありません。
とはいえ、マンスールという安宿は日本人贔屓のヨルダン人・ルアイさんがいて、各地の交通情報の提供や、水・コーラ・タバコなんかをくれる時もあり、日本人の中では大人気です。
お次は、中東のハイライト、ペトラ遺跡です。
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宿の近くの食堂の少年。テキパキと注文を取り、食べ終わったらさっさと片付けてくれるし、それでいて控えめで、少し大人っぽい仕草もしてしまう、見ていて気持ちの良い奴なのだ。アンマンに来た際はかわいがってやってくれ。
アンマンはイスラエル、ペトラ、死海へのハブになっているだけで、特に見所ないんだよなー。人も車も多いっすわ。
遺跡はローマ劇場と、
宿のすぐ裏手にあるアンマン城くらい。高台にあるので市街地が見渡せていいが、遺跡はしょぼいっす。
近くにある博物館もしょぼいのだが、唯一目を引いたのが、この死海文書だ。20世紀になって死海の近くで見つかった、紀元前1世紀ころのユダヤ教の聖書だ。
確かポールの高さが約120m、旗の大きさが60m×30mの巨大国旗がバタバタと翻っている。
アンマン城の近くで遊んでいた、アラビック・ガールズ。スレてない所がいいっすねー。
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※宿
マンスール(コーダ)ホテル
場所:アンマン, ヨルダン
2010/07/20
【イスラエル】エルサレム
イスラエル、いろんな意味で厄介な国ですが、その分興味深い国です。
今後の旅行者のためにも、まずは入出国の特殊な事情を書きとめておきます。
この事情に該当するのはイスラエル出国後にシリアやスーダンなどへ入国を考えている人向けです。
イスラエルの入国実績があると、これらの国への入国ができません。
これらの事情に配慮するために、ヨルダンとの国境のキング・フセイン橋でのみ例外的な措置がとられます。
・ヨルダンの出国スタンプを押さない
・イスラエルへの入国時、別紙にスタンプを押してもらう
これで、パスポートにはイスラエルへの入国実績は残らないことになるので、多くの旅行者はこの方法で入国しています。
最強に面倒くさいのが、イスラエル側の入国審査です。
「なぜ、別紙にスタンプを押してほしいのか」
という意地悪な質問をされたり、これまでのイスラム諸国への渡航に関する質問を浴びせかけられます。
日本人4人でこの国境を越えましたが、私だけ審査が40分ほど余計かかりました。
パキスタン・イラン・シリア辺りを特に突っ込まれました…疲れた。
ちなみに、イスラエル出国時もこの国境から出る必要があります。
国境さえ無事通過できれば、後は自由の身です。
とはいえ、エルサレムでは機関銃を持ったソルジャー達が警戒していたり、宗教施設への入場はセキュリティチェックが厳しかったり、物々しいです。
そんな中、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地でもあるので、敬虔な信者達のガチな雰囲気が伝わります。
旧市街地も多少ツーリスティックなところもありますが、他と違いリアルな街といえます。
日本人の団体ツアーも見かけたので、普通に観光するぶんには、危険は少ないと思います。
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まったく想像のつかなかったエルサレム。とりあえず、新市街地を攻めてみた。そこらの中東諸国よりはきれいだ。
旧市街地を取り囲む城壁。
まずは、ユダヤ教の聖地、嘆きの壁へ。黒いスーツに、黒い帽子、モミアゲを伸ばしてクルクル巻いているのは、ユダヤ教徒だ。こりゃ、ガチですな。
ここに近づくには、この帽子を被らなければならないのだ。
セキュリティチェックを通ると、ついに嘆きの壁にたどり着く。壁に向かって、経典を読む信者がいる。
旧市街地の様子。街並みは白い石で造られていて、そんじょそこらの旧市街地とは本気度が違うぞ。あまり、浮かれた気分にはなれんよ。
イエスが判決を受け、十字架を背負い、亡くなるまでの道である、ヴィア・ドロローサを辿る。
十字架を背負わされた場所とか、イエスがつまずいた場所とか、そういった場所が14ある。ここは最後にロンギヌスの槍で刺されて亡くなった、聖墳墓教会。ちなみにロンギヌスの槍はアルメニアでお目見えしたぞ。その他は写真でアップしているので、興味がある方はどうぞ。
こいつが、イエスの墓だ。辺りは、厳粛な雰囲気に包まれている。今までの教会の中で一番すごいっす。
楽勝で十字架を担ぐおっさん。
お次はイスラム教の聖地、岩のドーム。残念ながら、ムスリムじゃないと中には入れない。ここの入場口もセキュリティチェックがあって、厳重なのだ。
ダビデの星とプーさん。こんなん着てシリアを歩いたら、フルボッコだぞ。
バス停を探して彷徨ってしまったが、いざ、死海へ参らん!周囲は荒涼とした灼熱&禿山の大地。こんなとこ住めまへん。
海抜-400mの岩場には塩の結晶が。
暑さで朦朧としながら、水着に着替え、死海で体を冷やしてやるぜと意気込んで足をつけてみる…ぬ、ぬるい!なんてこった。ざぶざぶと中に入っていくと、自分が釣りの浮になったかのように、立ったままでも簡単に浮けてしまう。こりゃ、面白い。なんて、同行した桜庭氏とはしゃいでいると、肛門に激痛が。塩がしみるっ!私の名誉のために言っておきますが、決して痔ではありません。
ユダヤ教の帽子。これ被ると河童みたいだ。
ダビデ王。イスラエル、いろんな意味で一番面白かったかもしれない。そういえば、昨日の夜は軍用ヘリが不穏な音をたてながら、旧市街地を一晩中旋回していたなぁ。危なそうだし、エルサレムでお腹いっぱいになったので、さっさとお暇することとしますか。
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※宿
エルアラブ2000
場所:エルサレム, イスラエル
2010/07/17
【シリア】ダマスカス
レバノンから戻ってくると、シリア人の人のよさを改めて実感します。
夕方、旧市街地から宿に戻る途中、誰かに日本語で話しかけられました。
「おはようございます。日本人?大丈夫ですか?」
「こんばんは、日本人ですよ。日本語しゃべれるんですか?」
「うん、俺日本で12年働いていたからね。イラン人だよ」
おお、親日で好印象だったイラン人がシリアに登場です。
どうやら、日本で車の販売の仕事をしていたらしく、かなり日本語も達者です。
シリアでは母親他、おばちゃん連中の巡礼についてきてあげて、男一人なもんだから暇なんだとのことです。
と言った感じで、道端で、盛り上がっていたら、食事に行くことになり、結局ごちそうしてもらってしまいました。
最後に、困ったことがあれば連絡くれやー、と電話番号とアドレスを交換して、立ち去っていきました。
シリア、イランともにアメリカから制裁を受けている国家なので、日本にいるとネガティブな情報が耳に入ることが多いですが、なんとも気持ちのよい奴らです。
お次は、イスラエルからお届けします。
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ダマスカスに着くなり、「金曜日はお休みだから、お店全部しまってますよー」と宿にいた日本人が言っていた。とはいえ、暇なんで、同室になった日本人の方と、夕方から散歩をしてみることに。道端でゴザ広げて雑貨を売っていたおばちゃん曰く、「ソニーは高いけど、スクミーは安いよ~」。そりゃそうだろうけどね。
スークに行ってみると…おお、見事に閉まっちゃってるじゃん。
こちらのアイス有名店はやっていた。繁盛してんなー。
老若男女、ぼたぼたとアイスを垂らしながら、嬉しそうに舐めていたので、普段アイスなど滅多に食べない私も参加することに。ピスタチオとアイスって意外とあうんですね。
スークを抜けると、イスラム教の4番目の聖地と言われる、ウマイヤド・モスクに到着。外国人女性はこの布を頭から被らなければならないのだ。まさにねずみ男。
広いねー。涼しくなったので、中庭みないなところでは、みなさんダラダラとくつろいだり、子供は走り回ったりしている。
大抵のモスクの絵柄とは違って、建物や木の絵が描かれている。
中では、おばさんムスリムが泣きながら、この祭壇をありがたがっていた。ちょっとびっくりしたぞ。
「真っすぐな道」といわれる道はツーリスティックで、結構おしゃれに整備されている。
昼間は閑散としていたらしいが、日が暮れると、旧市街地はえらい人ごみになった。生演奏なんかも始まって、賑やかになってきたぞ。
イラン人にごちそうになったチキンの炙り焼き。断ったんだが結局我々の食事代を払ってくれた。彼は食ってないのに…名前はオミット。日本で色々世話になったからよ~、と本当にいいやつだ。
次の日、改めてスークに行ってみると、ちゃんとお店は開いていて賑やかになっていた。
盾…かな?
ダマスカスの新市街地の風景。シリア、いいとこだったなー。なんっつっても、人が最高だぜ!
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※宿
アル・ラビ・ホテル
場所:ダマスカス, シリア
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